子どもたちが通う学校でもPTA活動にさまざまなご意見がありますが、1度経験した方が「楽しかったから」と何度も立候補してくださることもあります。写真は年度末に役員の方にお配りしたお菓子です。最後の会議はお菓子を食べながら和やかに終わりました(撮影/江利川ちひろ)

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 4月後半になりました。この時期、多くの学校では新年度最初の保護者懇談会などでPTA役員を決めると思います。私は高3の次女と高2の息子が通う幼稚園から高校までの一貫校で、昨年度からPTA会長をしています。コロナ禍でPTA活動はかなり縮小されましたが、このままこのつながりをなくしてしまうのはもったいないと思い、立候補しました。そして私個人としては、PTA活動で関わった先生や保護者の方々に我が家の障害のある子どもたちのことを知ってもらう機会がたくさんあり、そのたびに理解を示してくださる方が増えたというメリットもありました。

 今回はPTA活動について書いてみようと思います。

はじめは「仕方なく」

 私が最初にPTA役員になったのは、次女が幼稚園の年中の時でした。この年は、足が不自由な息子の幼稚園探しの真っただ中で、自分が少しでも幼稚園に関わることで息子のことを知ってもらう機会が増えるのではないかと思い、立候補したのです。

 正直、はじめはまったく前向きではありませんでした。「息子のために仕方なく」という気持ちが大きかったと思います。特にここはPTA活動が盛んなことで有名な学校です。双子の長女は医療的ケアが必要な重症心身障害児のため、幼稚園ではなく児童発達支援センターへ通っており、さらに3歳3カ月の息子もいて、どのくらい慌ただしい生活になるのかとても不安でした。

 ところが実際にPTA活動をしてみると、どんどん親しい友人ができ、私自身も幼稚園へ行くことが楽しくなりました。出産してから数年間子どもたちの通院やリハビリがメインの生活をしていたため、家族以外の人とゆっくり話すこともとても新鮮でした。小さく生まれた我が家の子どもたちは身体が弱く、当時はたびたび肺炎を起こして入院していましたが、活動に参加できなくなくても責められるどころか本気で心配してくれました。こうした「つながり」から保護者の輪が広がり、学校に協力しようと思う流れをつくっていくことがPTA活動の一番の意味なのではないかと思います。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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共働き家庭が増える中、試行錯誤のPTA