ダルビッシュ有の母・郁代さんと、末弟の賢太さん。賢太さんは2022年に精巣がんが見つかり、術後半年でリンパに転移が判明。抗がん剤治療などを行い、順調に回復しつつある(撮影/MIKIKO)

 メジャーで2年ぶり4回目の開幕投手も務めたダルビッシュ有。その母・郁代さんと末弟の賢太さんが、家族について語った。AERA 2024年4月22日号より。

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 2024年は、MLBに日本人選手(サンフランシスコ・ジャイアンツ村上雅則さん)が誕生して60年。そんな節目の今季は大谷翔平ら総勢11人の日本人選手がしのぎを削る。

 中でも、注目したいのは、渡米13年目を迎えたダルビッシュ有だ。20年には日本人初の最多勝のタイトルを獲得するなどメジャーで103勝を挙げ、日米通算200勝まであと4勝に迫る。所属するパドレスで全幅の信頼を得て、今シーズンの開幕戦に登板した。開幕投手に選ばれるのは4度目で、日本選手最多タイの回数だ。

 昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、技術やトレーニングの知識、情報をチームメートに惜しみなく伝え、侍ジャパンを支えた姿も記憶に新しい。その人間的な成長の端緒を探ろうと母の郁代さんを大阪に訪ねた。同席してくれた末弟の賢太さんは32歳。次男の翔さんが35歳、長男の有が今年38歳と三つずつ離れている。郁代さんは昔をこう振り返る。

「有は翔とはしょっちゅう取っ組み合いのけんかをしましたが、賢太に対しては、有も『まだ小さい』という印象だったんでしょう。距離がありました」

だんらんの時間限られ

 有が仙台にある東北高校入学のため15歳で大阪府羽曳野市の家を出たとき、賢太さんはまだ9歳だった。有は高2の夏には甲子園で準優勝を果たすなどして、日本ハムに入団。トップ選手へと上り詰めていく。

 シーズンオフに、実家へ帰省すれば、新大阪駅に降り立った時点で大勢の人に囲まれた。実家のまわりを歩くことすらままならない。12年にメジャー入りし、米国へ渡ってからは、日本に帰国しても東京で部屋を借りて過ごすしかなかった。家族で会いに行ったこともあるが、「会話は多くはなかった」と賢太さん。全員そろっての家族だんらんの時間は限られていた。

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